摩周丸ものがたり

  • 摩周丸(初代)
    摩周丸(初代)
  • 摩周丸(2代目)
    摩周丸(2代目)
初代摩周丸

摩周丸の名を持つ連絡船は2隻あります。初代摩周丸は、戦後まもない1948(昭和23)年8月27日に就航しました。

戦後、国は戦争末期の空襲で全滅した青函連絡船をすみやかに復旧させるため、客船4隻(洞爺丸型)、貨物船4隻の建造を決定します。物資が不足していた時代でしたが、洞爺丸型は特別室や等級別の食堂、浴室も備えた豪華客船でした。エンジンは蒸気タービンで、ボイラーの燃焼効率をあげるために、煙突を4本持っていました。

摩周丸は洞爺丸型連絡船の3番目の船として建造され、3782総トン、全長118.7メートル、幅15.85メートル、深さ6.8メートル、旅客定員899名、搭載車両18両でした。

1954(昭和29)年9月、のちに洞爺丸台風と呼ばれることになる台風15号が津軽海峡を襲います。当時、青函航路には14隻の連絡船が就航していましたが、摩周丸は検査工事のために浦賀ドック(神奈川県)に入っていたことから、台風の被害に遭わずにすみました。

その後、初代摩周丸は無事に航海を続け、1964(昭和39)年10月26日に終航となりました。

2代目摩周丸

2代目摩周丸は、高速自動化船として登場した津軽丸型連絡船の5番目の船として、初代摩周丸が引退した翌年の1965(昭和40)年に建造され、同年6月30日の12時25分函館発青森行きの20便から青函航路に就きました。

大きさは8328総トン(新造時の規定による)、全長132メートル、幅17.9メートル、深さ7.2メートル、旅客定員1200名、搭載車両48両。主機関1万2800馬力のディーゼルエンジン、速力18.2ノット(時速33キロメートル)で、青森-函館間を3時間50分で結びました。

1988(昭和63)年3月13日、青函トンネル開通とともに青函連絡船は終航となります。この日、摩周丸は第5便として青森を15時に出港し、18時50分函館に無事着岸、これが最後の航海となりました。2代目摩周丸は22年9か月の就航期間に3万5493回運航し、その距離は約400万キロメートルに達しました。これは地球を100周できる距離です。

その年の6月3日から9月18日まで、青函博(青函トンネル開通記念博覧会)が開催されます。これにあわせて、十和田丸と羊蹄丸を使って青函連絡船が復活運航されるのですが、このとき摩周丸は函館港に係留され、展示船となりました。同様に青森では八甲田丸が展示されています。

メモリアルシップ摩周丸

青函連絡船廃止後、僚船はつぎつぎと売却されていきましたが、摩周丸は母港函館で保存されることになりました。そして今度は博物館船として、ふたたびお客さんに見て、乗ってもらうことになりました。

1990(平成2)年8月より改修工事に入り、翌1991(平成3)年4月26日に「メモリアルシップ摩周丸」としてオープンしました。所有・運営 は、函館市とJR北海道を主とした第三セクター、株式会社函館シーポートプラザでした。

しかし、函館シーポートプラザは、あわせて運営していた隣接商業施設(ピアマーケット)のテナント撤退により経営が行き詰まり、1996 (平成8)年にピアマーケットを売却(JR北海道が買い戻し)、初年度21万人あった摩周丸の入館者数も3年後からは6万~8万人台となっていて、そもそも、商業施設の利益で摩周丸を維持する、というビジネスプランであったため収支は好転せず、会社は清算されることになり、摩周丸は2002(平成14)年12月に函館市に譲渡されました。

函館市青函連絡船記念館摩周丸

翌2003(平成15)年1月から再び改修工事が行われ、4月19日に「函館市青函連絡船記念館摩周丸」として、財団法人函館市文化・スポーツ振興財団の運営で再開業しました。

その後、指定管理者制度が導入され、2005(平成17)年4月から株式会社ワールドクラシックカーミュージアム函館が運営することになりました。このときも、「クラシックカーミュージアム」の収益で摩周丸も維持するというビジネスプランでしたが、年間入館者数は摩周丸5万~6万人に対し、クラシックカーミュージアム1万~2万人で、指定管理期間終了とともに2008(平成20)年3月、閉館してしまいました。

そして、同年4月から、特定非営利活動法人語りつぐ青函連絡船の会が指定管理者となり、現在にいたっています。